照屋眞理子歌集『抽象の薔薇』 栞 2004年 公開

7月29日水曜日

7月に上梓された照屋眞理子さんの遺句集『猫も天使も』(構成などお手伝いしました)

も素晴らしいのですが、


照屋眞理子さんは歌人でもあるので、第二歌集『抽象の薔薇』によせた栞文をこちらに公開します。照屋さんの短歌の魅力がひとりでも多くの方に届きますように

 

照屋眞理子『抽象の薔薇』 栞 2004年
理外の花     尾崎まゆみ 

『抽象の薔薇』と名付けられた照屋眞理子の第二歌集を誰よりも待っていたのは、私ではないかと思う。「玲瓏叢書」に佳品は多い。その中から五冊を選べと言われたら、私はためらわず照屋の『夢の岸』を最初に手に取るだろう。端正な調べ、選ばれて磨きぬかれた言葉はともに溜息がでるほど美しく、ふかい。完璧な文体を持つ完成された第一歌集。そこから歌は何処へいくのかを、私は知りたかったのかもしれない。
 
 二人には二人の孤独休息の戦士に揺るる夜の濃紫陽花
 檻のうちを豹は歩めりひたすらに見らるるための暗き意志もて 『夢の岸』
 
 彼女に習作の時期はない。「濃紫陽花」は彼女が二十代後半1979年に初めて作って
サンデー毎日」現代百人一首に応募し、それを見た塚本邦雄が多分驚喜したであろう歌。そして二首目に作った「豹」は二度目の応募で「塚本邦雄賞」を射止めた歌。たとえ国文科で卒論に俳句の音数の極限、つまり何音までが破調としての俳句と認められるかという課題を選んでいたとても、最初からこんな秀歌を詠んでしまう人はあまりいない。歌は、特に彼女の場合、作るものではなく出来てしまうもののように思える。七十年代のあの虚無と焦燥さえも内に抱えたこんな歌を最初に詠んでしまうと、その作歌の目標というものは、無いに等しい。が、やはり彼女の場合も作歌ののちに、歌への見解というものが明確となり、その見解が以後の歌を支えてゆく。彼女は『夢の岸』あとがきで「あえて何もものを言わない歌をめざしたい」という危うい目標を定めた。「何もものを言わない歌」を理想とするとき「ではなぜ歌うのか」という問いが返ってくるのは、当然だろう。
 
 さびしき瞳もてわれを窺ふ睡りゆゑ咲かせやる夢の百千の薔薇
 夏椿咲くかたへにそと置きてうつし身はすずしきこの世の嘘
 物みなの名前ほどけて夜となれり名なきこと闇にやさしく戦ぐ
 
 あえて「なにも言わない歌」は、しかし饒舌でもある。夢は言葉を欲しいという。その夢に言葉を与えて、百千の薔薇を咲かせるのが、彼女の役目。夏椿が咲くこの世であれば「うつし身は嘘」。花の思いを探り、闇の中、名前という呪縛から解き放たれた物本来の言葉を聞く「トランスレーター」。つまり彼女は、耳目口などすべての感覚器を開放して、儚く空に消える物たちの声を言葉に移し替えるひとつの機関であろうとした。

 わが魂の揺籃揺らしラヂオより泣けよと洩るるオーティス レディング
 寂しさに空の手さへや泣き濡れて抱きしめに来るそんな声だった 
 人の名もて日日を刻まばこの夏の永山則夫一条さゆり
 
 しかし彼女も「うつし身」であれば、心はある。人の名前と声を詠み込んだ歌には、七十年代を生きた彼女の心というものが、しっかりと肉感をもって刻まれている。そんな歌をもっと読んでみたいと思うのは、私だけではないだろうし、第一歌集前半にはそのような歌も多かったように思う。オーティス レディングは魂を揺さぶる情念を歌う。声を出してリズムに載せた唄の威力を、見せつけられたからだろうか、彼女は自らの声で唄いはじめて、個人的な心の揺れを唄へと振り分けた。そののち、もともと親しんでいた俳句へも手を広げ、この七月には『月の書架』という第一句集まで出版してしまうほどに、力を入れている。「唄」に感情を、「俳句」に言葉を振り分けて「短歌」から極力、個人的な感情と、言葉の突出を、排除する。それがこの時期の、彼女の歌を支える方法論である。
 
 春暁の夢は卵のかたちして薄明のなかむづむづとあり
 犬の種猫の種人の種も植ゑうらぐはし春の夢の土壌は
 月見草にほら灯が灯るたれか来てあはくやさしき物語りせよ
 わが目閉づすなはち開く宙の目に仄振るへつつあれはこの星
 
 通過するものを言葉に翻訳する過程で「春暁の夢」の卵を得た彼女は、卵を胸に温めて孵し、その中に犬の種と猫の種と人の種を植えて、「うらぐはし」つまり「心にしみてこまやかで美しい」星の物語を育むこととなる。よろこびも、悲しみも、怒りも、愁いも、策略も、上昇志向も、嫉妬もない。ゆるやかな思念のたゆたう空間に、彼女の懸案であった「理外の花」は、散ることを忘れて咲き乱れている。
「何も言わない短歌」によって「宙」を象るとは一つの技であり、「言葉にものを言わせる」才がなければ成り立たない。私は、あるいは読者は、彼女の創りあげた永遠の春のよろこびの中にただ心を遊ばせるだけでよい。
 
 一つひとつ宙の破片を入れむため造られてわれら柔軟な人体