西神中央公園の桜 2021

今年は、桜が奇麗でした。

さくらばな溢れて街のうらうらに小鳥小鳥の声のとびたつ  尾崎まゆみ

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さくらが散りそうなので、昨日のさくらの写真をもう一枚。

と『明媚な闇』の桜を

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写真の桜はすべて、
西神中央公園、

千本桜とも呼ばれています。

阪神淡路大震災のあと、
仮設住宅が並んでいた場所です。2001年に仮設住宅が撤去され、鎮魂の意味も込めて、地域の人が寄贈し、大切に育ててきました。

だから毎年
自分が世話をする木の下で、静かにお花見する人が多いのですが、近頃は、遠くからお花見にくる人も多くて、
20年経って桜の名所になっただなと、感慨深いものがあります。

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四月再上映される

映画「思い、思われ、ふり、ふられ」のロケ地にもなったからでしょうか、今年は、若い人が多くて、うれしいような
散歩しながら
いろいろな思いがよぎりました。

 

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西神中央公園は、神戸市営地下鉄山手線

西神中央駅から徒歩5分。

2021年2月号3月号掲載情報

今日は、猫の日

後鳥羽院の忌日でもあるようです。

2021年2月号、3月号

掲載情報をまとめました。

 

●角川『短歌』2月号に
久我田鶴子歌集『雀の帷子』
の書評を寄稿いたしました。

性別のなきやすらかさ橡若葉さやさや揺れて雫を零す
         久我田鶴子

●「塔」二月号に
山田恵子歌集『月のじかん』の書評を寄稿しました。 

山田恵子さんは神戸新聞文芸短歌欄を大切に思ってくださっている方。

塔会員の皆様
お読みくださると幸いです、

春キャベツはふわっと巻いてなきゃだめだキッチリ真面目は選からもれる
『月のじかん』
悲しいとき「婦人画報」をありがとう山の写真に救われました

  

●短歌研究2021年3月号

「忘れられない歌、忘れてはいけない歌」に
寄稿しました。

本田一弘歌集『磐梯』
梶原さい子『リアス/椿』
黒瀬珂瀾『ひかりの針がうたふ』
から各一首紹介しております。

阪神淡路大震災の経験も踏まえて、
短歌の可能性を考えてみました。

 

●2021年歌壇3月号
「全国新聞歌壇ウォッチング⑤」に寄稿しました。
神戸新聞神戸新聞文芸短歌」
について。

神戸新聞短歌、毎年12月.1月は今でも
震災関連の詠草が届きます。 

3月号は特集は
「震災詠から見えてくるもの」

 

2021年3月号は

東日本大震災の特集が目立ちます。

2011年から2021年は、

1995年から2021年でもあります。

 

巡り合わせを感じます。

 

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

 

 

1997年、丑年、

塚本邦雄先生からの年賀状。
新春詠なので頭韻、という私の頭の中の常識?はこの年賀状の影響だと、気づきました。
丁(ひのと)だから火弟


感覚が楽しいのですが、

この年賀状の影響で、今でも、毎年暦を買ってしまいます。

 

角川「短歌」2021年1月号新春
歌人大競詠に寄稿した

「ひさかたのみやこ」尾崎まゆみ

七首も、

新春詠なので頭韻です。

 

ひさかたのみやこ

ひららく
草上(さうじやう)
翳り
手弱女(たをやめ)
夜想曲ノクターン
みやび
こころ

 

 

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銀そして金にかがやく 岡井隆さん追悼   尾崎まゆみ  玲瓏百三号特集 2020年10月号

2020年も12月を迎えてしまいました。

今年塚本邦雄生誕百年の節目に、岡井隆さんが逝去されるという偶然。

玲瓏103号に寄稿した追悼文をここに転載しておきます。

玲瓏にはこの追悼文とともに

岡井隆さんの素敵な写真が4葉、載せられているので、玲瓏会員が身近にいらっしゃる方は、本誌をご覧になってみてください。

とてもチャーミングな写真ばかり、塚本家に大切に保存されていたようです。

 

 

玲瓏103号
岡井隆さん追悼

 


銀そして金にかがやく   尾崎まゆみ

 

そして花そのものは銀そして金にかがやく、嗚呼つつましく  

       ポインセチアに捧ぐ  

    岡井隆「未来」二〇二〇年二月


君はただ見てていい役(やく)。昼がただ夜を喜び恋ひしたふのを
        ポインセチアに捧ぐ 

   岡井隆「未来」二〇二〇年二月


死のむかう側には暗い青空が無数の傷を産んで輝く
          死について 

   岡井隆「未来」二〇二〇年五月


死がうしろ姿でそこにゐるむかう向きだつてことうしろ姿だ   

        死について(続)   岡井隆「未来」二〇二〇年六月


ああこんなことつてあるか死はこちらむいててほし阿婆世(あばな)といへど

 

 

 「ポインセチアに捧ぐ」は未来二月号の作品。ポインセチアのいのちを愛でながら銀と金を見つめるまなざしが、眩しく、「君はただ見てていい役。」がせつない。五月号と、六月号に載った詠草は「死」の後ろ姿を真摯にみつめていて、しかも情に溺れず読者に語り掛けているような。どの歌にも岡井さんの存在が感じられて、こんな華のある作品が「未來」に毎月七首掲載されていたので、「死」は近づいているらしいことはわかっていても、やはり、不意打ちでした。


 訃報に接したのは、『塚本邦雄論集』の詰めの校正をしていて、『装飾楽句』『日本霊歌』『水銀伝説』のあたりは、『極』の同人の影響が大きいと、あらためて思いながら、間違いがないか確認しながら読み進んでいた時、偶然のような必然のようなめぐりあわせに思わず声をあげそうになりました。岡井隆、春日井建、寺山修司、浜田到、安永蕗子、山中智恵子など。綺羅星のような人々が同人となり互いを意識して短歌の革新を広めようとしていた様子が記された『極』は、創刊号しか出なかったけれど、前衛短歌というくくりを越えて短歌革新の心が実感できる冊子。
 岡井隆さんは、『極』のメンバーを見送った後も、積極的に若手歌人の中へ入り、様々な革新の場の核となり、その成果を私たちに手渡してくださった人。

 

七月十一日午後二時過ぎ流れてきた、「七月十日岡井隆さん死去。岡井隆塚本邦雄寺山修司、前衛短歌運動を担った三人の最後の一人が亡くなった」という報せは、瞬く間にネットの海に広がり、間を置かず様々な人の想いの波が、スマートホンの画面に押し寄せてきました。


 最初に引用した四首目の阿婆世(あばな)とは、名古屋方面であばよのことではないかという説とともに「ああこんなことつてあるか」に共鳴した人々によって、最後の作品として拡散され、さまざまな人の言葉は奔流となってあたりを充たし、会ったことのない人の呟く岡井さんとの思い出も、既知の人と対面して会話しているように鮮明に聞こえてきて、それぞれの人の想いに共感しながら、あるいは、距離を置きながら、私自身の哀悼の意を、流れてくる呟きに重ねていました。


 十五年前の六月、塚本邦雄の訃報を受け取った時は電話でしたので、情報が拡がって多くの人たちと共有できたのは、次の日以降。今回は、瞬く間に訃報が拡散され、共有されて、ネット上に一つの場が生まれて、その場は、核となる情報に接した人の哀悼の呟きをエネルギーとしてアメーバーのように、辺りを覆いました。
 その展開が鮮やかすぎたからでしょうか、常に時代の最先端を意識し、若い人の可能性を大切にした岡井隆さんにふさわしい野辺おくりの場に私は居合わせたのだと、気づいたのは、アプリを閉じてしばらくしてからでした。

 

 始めてお会いした短歌研究新人賞授賞式、サファリルックのジャケットで、仕事が終わり急いで駆けつけたという感じの岡井隆さんに、紹介してくださったのは、塚本邦雄。当時、「玲瓏」しか知らない箱入り娘?だったので、塚本先生の右後ろくらいに隠れていて、どぎまぎしていた私に、前橋の「雲雀料理店」のことなどを話されて、にこやかに対応して下さったのを鮮明に覚えています。


 次にお会いしたのは、1999年ころ。そのころ岡井さんは、さまざまな場所で超結社の歌会にかかわり、多くの若手歌人達と積極的に交流していました、東京中心ではなく、地方にも短歌について話し合う場所を創るという意図があったのだと思います。関西では京都、大阪で超結社の歌会をもたれていて、京都での金曜日夜の歌会にはほとんど伺えなかったのですが、未來会員の方から「淀川歌会」に誘っていただき、毎回出席するのが楽しみでした。「淀川歌会」は、当時新大阪駅の近くにあった会議室で土曜日の午後開かれていて、メンバーはほとんどが「未来」の会員、京都の歌会よりもアットホームな雰囲気で居心地の良い歌会でしたが、私の感じた居心地の良さは、岡井さんの盟友塚本邦雄への心遣いの賜物であったと、思っています。


 岡井さんは、当時私が、塚本邸によく伺っていたことをご存じでしたので、毎回必ず「塚本さんは元気ですか」と尋ねられ、私は「はい、お元気です」と答えるのが習わしのようになっていました。私の「はい」には毎回微妙に違うニュアンスがあり、岡井さんはその微妙な違いを敏感に感じ取られていたので、この習わしは、私にとって励ましであり、岡井さんにとっては、盟友の状況確認であったのではないかと思います。
 歌会は、いつもなごやかな雰囲気のうちに進行するのですが、何度か、「君たちは、短歌が解っていない。」と本気でおっしゃられたことがあって、その時の厳しく、孤独な横顔に盟友への想いを勝手に感じ取ったりしていました。


 たぶん見えないところでも、いろいろと気づかいをしてくださっていたのたのだろうと、思います。岡井隆さん、本当にありがとうございました。

 

若いころのぼくの手紙がひしめいてる塚本邦雄邸のひき出し
              岡井隆『馴鹿時代今か来向かふ』

 

 

 

水原紫苑歌集『如何なる花束にも無き花を』

今月も好きな歌集がいろいろと、その中から一冊。八月十五日が発行日の歌集を

紫水晶を思わせる硬質の叙情。カバーを見つめていると天使の翼が!


水原紫苑歌集

『如何なる花束にも無き花を』

        本阿弥書店

 

軍服の父を知らざる幸ひをブローチとして心臓に刺す

 

心臓に刺すが、意志を感じさせる

 

玄牝やひかりの繭となりゆかむをみな超えたるこのうつそみは

ひかりの繭が好き

玄牝は「老子」道徳教第六章、にある言葉、大河の源にある谷神は尽きることなく、生命を生み出す、女性もまた、生命を生み出す。

河瀬直美さんの映画の題名でもありますね。「玄牝」2010年

 

若草の妹を焼きたる夕映かロゼシャンパンは天にこぼるる

夕映のは古代と現代を繋ぐ架け橋

 

風の骨あらはに見ゆるきさらぎを過ぎゆけるひとみな扇かも

釈超空、山中智恵子の扇がかさなる

 

雀らが野分の前に来たりける智恵を怖れて聴くモーツァルト

 

モーツァルトの音楽はそんな感じです。

 

※おことわり

水原紫苑さんは正字を使われているのですが、反映されておりません

 

 

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玲瓏叢書、書肆季節社版

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6月7日にTwitterで、玲瓏叢書、書肆季節社版の手元にある本をご紹介したら、手元にない本についても、画像をいただき、揃いました。もうほとんど手に入らない本ばかりなので、ここに、並べて保存しておきますね。 

玲瓏叢書2.と5は、林和清さんより、

玲瓏叢書7岩田憲生『紅盗賊』は、花笠海月さんより、画像いただきました。

ありがとうございます。題名、著者名などは、後ほど補足する予定です。

装丁は、書肆季節社の代表でもあった、政田岑生さん。

私の『微熱海域』の表紙に使われた絵は、謎のままだったのですが、

 

羊我堂さまに教えていただいたました。

ありがとうございます。

 

尾崎まゆみ『微熱海域』カバーは
ランブール兄弟
時祷書、ローマの地図

長年の謎が氷解してうれしいです。

深謝。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Folio_141v_-_A_Plan_of_Rome.jpg